3 殺人の手段と結果

3.4 刃物

 刃物は「斬る」または「刺す」ことで攻撃を行う。斬ることによる切創は出血が多いものの、動脈が傷ついていなければすぐに回復する。刺すことによる刺創は傷口こそ小さいものの、血管や内臓を損傷させて致命傷になりやすい。刃物が介在した犯罪のほとんどは、被害者に対しての恨みが許容を超えた拍子に行われ、そのほとんどでは日用品である包丁類が用いられる。急所を狙うことで、音もなく速やかに殺害できるため、計画的な殺人や暗殺でも使われる。

 斬殺や刺殺の死因は、大量の血が循環器系から失われ、臓器の酸素欠乏と心臓が酸素を臓器に送れなくなることによる、失血死である。総血液量の20%が急激に流出すると下表のような出血性ショックを引き起こし、30%が流出すると生命の危険があると言われている。30%とは、体重50kgなら1200mlに相当する。なお、体重50kgでの献血は300~400mlである。

重症度 血液の減少量[%] 症状
無症状 10~15 無症状、立ちくらみ
軽傷 15~30 冷や汗、冷感、倦怠
中等度 30~45 蒼白、呼吸促進
重症 45以上 高度の蒼白、昏睡、意識混濁
致死的 50以上 死亡
 静脈の血管は、壁が薄く弾力性に乏しく、ところどころに逆流弁を備えている。心臓に戻る血液を通すため、中の圧力は低い。傷つくと、暗紅色をした静脈血が一定の速度で流れ出すとともに、心臓に近い頸静脈や鎖骨下静脈なら傷口から空気を吸い込んで空気塞栓を生じる。空気塞栓とは、吸い込まれた空気が心臓の右心室に流れ込み、肺動脈を詰まらせる現象であり、100~150mlの空気が入り込むと致命傷とされる。一方、動脈の血管は、高い弾力性を持ち、破れや引っ張りに強い。心臓から送り出す血液を通すため、中の圧力は高い。傷つくと、鮮紅色をした動脈血が2~3m激しく噴出し、血煙をあげることもある。毛細血管は極めて細く、血流は遅い。傷つくと、血液はにじみ出る。

3.4.1 斬殺

 刃物を人体表面に押し当てて、刃の長軸方向に引くあるいは押してできた、浅く長い傷口を切創と呼ぶ。この行為による殺人。
 自ら傷つける場合、服をまくり上げて皮膚を切るとされる。また、切創の周囲に小さな浅い、ためらい傷が見られることがある。他人が傷つける場合、腕や手や指に防御創が見られることがある。他人が傷つけたように見せかける場合もあるが、顔面などの目立つところで、かつ危険度の低い部位に対して行われる。切創は大きい、浅い、数が多い特徴を持つ。
 喉を斬る場合、背後から襲い掛かり、左耳下から右耳下にナイフを走らせる方法が用いられる。失血、気管から肺に血液が流れ込むことによる外窒息、空気塞栓により死に至る。
 日本刀の「居合」は頸動脈を狙い、「袈裟斬り」は鎖骨下動脈を狙っており、いずれも心臓に近いため、大量に出血して失血死を引き起こす。斬首刑は、罪人の首を前に差し出す格好で座らせ、首の骨に荷重がかからない状態で、最も頭蓋骨側にある環椎と、頭蓋骨の間を斬りつけることで無理なく切り落とすことができる。西洋のギロチンや剣による斬首では強引に切断するため、さらし首に首が残る。
 殺人ではないが正しい切腹の方法は、短刀で腹部左側を刺し、右腹部へ走らせた後、刃を半回転させて上側に切り上げるそう。切創はL字型になる。一息で割かれた腹部から、腹圧で内臓が飛び出し、心臓が急激な圧力変化についていけず機能不全に陥る。

3.4.2 刺殺

 先端が尖った凶器を、刃の長軸方向に差し込んでできた傷口を刺創と呼ぶ。この行為による殺人。

 凶器はナイフや包丁が多いが、アイスピック、ドライバー、ボールペンなどが使われることもある。致命傷を与えるためには、切っ先が内臓や動脈を傷つける必要がある。皮下脂肪の厚さによるが、おおまかな皮膚から内臓までの距離は下表のとおりである。所持が許可される55mm以下の刀剣でも多くの臓器に届く。また、皮膚と皮下脂肪と筋肉を貫通するためには約5kgの力が必要とされる。

胸膜 心膜 肝臓 膵臓 腎臓 胸部大動脈 腹部大動脈 大腿部動脈
最小 10mm 15mm 9mm 21mm 9mm 31mm 65mm 13mm
最大 48mm 45mm 36mm 39mm 79mm 93mm 102mm 25mm
平均 22mm 31mm 19mm 23mm 37mm 64mm 87mm 18mm
 胸部刺創は、肺や心臓周辺の損傷を指す。加害者に右利きが多いことや、心臓は左側にあるという認識が広がっていることから、刺殺の犠牲者の多くは左側を狙われている。実際には心臓は胸骨で覆われているので、横にしたナイフを肋骨の隙間から差し込むか、胸骨の下から差し込んだナイフを上に向ける必要がある。
 心臓や心臓周辺の太い血管が損傷すると、失血死や後述する心タンポナーデにより死につながる。心臓は、右心室と右心房よりも、血液を送り出す左心室と左心房を損傷する方が致死率は高い。ただし、心臓を損傷しても即死につながることは稀で、血液が心臓の周りの心膜に溜まりポンプ性能が低下する、心タンポナーデが原因で死ぬことが多い。7名の自殺事例において、4名は心臓を刺した後に2~10分間行動できたという報告がある。
 肺の損傷により死亡することは稀だが、手当てが遅れ胸腔内に空気や血液が溜まり、酸素不足に陥って死亡することがある。
 腹部刺創は傷が深い場合、出血性ショック、腹膜炎、失血もしくは複合的な要因により致命傷となる。まず、胃、肝臓、脾臓が刺されたり、腸間膜が断裂すると、腹腔内に出血が溜まり出血性ショックを引き起こす。出血性ショックの出血量と症状の関係は前述した。次に、腸や膵臓、特に糞便が通る結腸や直腸が損傷すると急性腹膜炎になり、敗血症などの重い感染症の原因になる。最後に、体の真ん中を通る腹部大動脈や下大静脈が傷つくと、大量の出血があり救命は困難で、犠牲者の80%は病院に到着する前に死亡する。
 頸静脈および頸動脈は、いずれの刃物による攻撃に対しても弱い。頸動脈は脳に酸素を運ぶ血管であるため、切断されれば脳の機能は停止する。また、心臓に近いため、大量に出血する。頸静脈が傷ついた場合は、空気塞栓を引き起こす。
 犯人が頭部を刺すことは珍しいが、まぶたの裏や耳孔、うなじの中央のくぼんでいるところを刺すことで、脳幹を損傷させる暗殺方法がある。頭蓋内で出血(硬膜外・硬膜下・クモ膜下出血)し、脳を圧迫することも考えられる。

3.4.3 割殺

 斧や鍬、鉈、日本刀など重量のある刃物で斬りつけた割創による殺人。大きなエネルギーは激しい被害をもたらし、傷はぱっくりと口を開け、周辺の皮膚や筋肉、骨が挫滅する。どこを損傷させようと、動脈や静脈の切断、脳幹の破壊、深く広範囲に及ぶ傷により、即死もしくは重い後遺症を残す。