3 殺人の手段と結果

3.2 窒息死

 窒息とは、細胞が酸素を受け取れないか、利用できなくなった状態をいう。そもそも人間の呼吸は外呼吸(鼻口から肺を経由し血液まで)と内呼吸(血液から細胞)に分かれ、それぞれが阻害された状態が外窒息(呼吸の阻害、吸気の酸素不足)と内窒息(血液の酸素運搬阻害、細胞呼吸の阻害)である。
 成人は1分間に約300mlの酸素を消費する。外部から酸素を摂取できなくなると肺や血液、細胞に備蓄されている予備酸素約850mlが使用されるが、3分程度で枯渇する。窒息状態が続くと、酸素消費量が最も多い脳細胞が1分で死に始める。3~4分で大脳皮質が障害を受け、7分(一説では10~15分)で脳幹も障害を受ける(脳細胞は再生しない)。すると血管運動神経が麻痺し昏睡状態に陥り、さらに進行すると呼吸中枢にも麻痺が始まり、自律的な呼吸手段を失い死に至る。

 完全に気道閉鎖された急性窒息の症状と経過は次のとおりである。

  1. 第Ⅰ期(数秒から数10秒)
  2.  生体に症状が発現するまでの時期。
  3. 第Ⅱ期(数分以内)
  4.  呼吸困難になり、補助呼吸筋が動員され努力呼吸が始まるが、胸郭の動きは弱い。速く深い呼吸の後、呼気時間が伸びたり、ぜいぜい音を発する呼吸に変わる。筋肉の収縮と弛緩を繰り返す(間代性の)痙攣は、全身が弓なりに反りかえり収縮したままになる(強直性の)痙攣に移行する。皮膚や粘膜が青黒くなり(チアノーゼ)、大小便の失禁などを起こす。
  5. 第Ⅲ期(約2分)
  6.  激しい努力呼吸や痙攣の後、意識混濁・消失とともに呼吸中枢が停止する。筋肉の弛緩や心臓の異常が起きる。仮死に陥るので、以降完全な回復は望めない。
  7. 第Ⅳ期(約1分)
  8.  あえぎ呼吸を数回から10回くらい行い、その間隔が長くなって止まる。
  9. 第Ⅴ期(10数分~数10分)
  10.  呼吸と脈拍が停止する。

3.2.1 頸部圧迫

 首の外側からかかる力により、血管(頸静脈、頸動脈、椎骨動脈)と気道(咽頭、喉頭、気管)をふさぐ外窒息。血管の圧迫では、脳への酸素運搬を阻害する。気道の圧迫は重要ではないとされる。頸動脈は首の斜め前面にある胸鎖乳突筋の裏にあり、3~7kgの力で血流が止まる。実験によれば、急激な頸動脈の閉塞により、視界がぼやける、視野の狭窄、意識喪失(被験者の半数はここまで6秒)、低酸素症による痙攣が始まる。意識喪失後に閉塞を解除することで、1、2分後に意識が回復する。
 外頸動脈は頭蓋骨の中にも分布しており、首が締まった場合は、頭蓋骨の中の毛細血管が青色にうっ血する。このため放火により死体の表面が焼かれた場合も、頭蓋骨が残っていれば真の死因が分かる可能性がある。
3.2.1.1 縊死(首吊り)
 首にロープなどで作った輪(索状物)をかけ、一端を他の物体に固定し、自分の体重で首を圧迫する方法。自殺の方法として最も優れているとされ、古今東西で用いられてきた。足が完全に地面から離れた状態で首を吊る定型縊死と、膝をついたり寝転がったりした姿勢で首を吊る非定型縊死がある。定型縊死では、頸動脈および頸静脈の圧迫と、索状物が舌の根を押し上げ咽頭と喉頭を塞ぐことにより死に至る。定型縊死の首吊り死体は、首の骨の間を通る椎骨動脈をも圧迫し血液を完全に止めるため、溢血点やうっ血が生じず顔面蒼白である。押し上げられた舌が口から突き出ていることがある。非定型縊死では、気道が塞がるほど荷重がかからないので、血管の圧迫のみにより死に至る。前述のとおり頸動脈は3~7kgの力で血液が止まるので、多様な吊り方や体勢でも死に至る。30cmの高さがあれば死ねると言う人もいる。非定型縊死の首吊り死体は溢血点やうっ血を生じ腫れ上がる。首吊り死体では共通して、索状物の痕である索痕・索溝が見られ、唾液を漏らす。陰茎の勃起や精液の漏出が見られることもある。死後数十時間経過すると、目が飛び出たり、液体が流れ出て、脱糞や失禁もありうる。索状物には、ロープ、電気コード、ベルトが使われることが多く、結ぶ方法として引き輪結びが多用される。

 息苦しさを感じる前に、わずかな時間で意識を喪失するため、まったく苦痛はない。経過は次の通り。

  1. 頭が熱くなり、耳鳴りを生じ、眼に光を感じた後、意識が薄れる。(約1分)
  2. 全身に痙攣が起きた後、両手足がひきつる。男性の場合、陰茎の勃起や精液の漏出が見られることがある。(約1~1.5分)
  3. 仮死状態となり、大小便を漏らし、目が飛び出し、呼吸が止まる。(約1分)
  4. 心停止する。以降は救助されても、ほぼ助からない。(約10分)
 縊死は自殺で用いられることが多いが、偽装自殺にみせかけることもある。定型縊死なのに溢血点やうっ血が見られたり、別の索状物の痕跡があれば(1回目の首吊りに失敗して2回目で成功した場合もあるが)、偽装自殺が疑われる。縊死による自殺者には、首を吊る前にロープ類を手でしごく傾向があるので、自殺者の手指にセロテープを貼り、繊維を検出する判定方法もある。
3.2.1.2 絞殺(絞頸)
 ロープや紐など(索状物)を首に巻き、体重以外の力(主に腕力)で絞めて首を圧迫する方法。自分の首を絞めるのは自絞、他者が首を絞めるのは他絞である。自絞は他絞の1/2~1/3例あり、少なくない。肩と平行に絞めるために首の骨の間を通る椎骨動脈を圧迫することは難しく、死体の状態は非定型縊死と同じになる。ただし、タオルのような幅広く柔らかいものが用いられ、死後すぐに外されたような場合には、わずかな表皮剥脱や内出血しか見られないことがある。頸部神経の圧迫による反射性心停止や、心疾患などにより窒息の初期状態で心停止した場合にも、溢血点やうっ血が見られない場合がある。索状物には、ロープ、ネクタイ、ストキング、タオル、電気コードなどが使われ、巻き付け回数は1回の場合が多い。
 自絞死の場合、紐を2回以上巻き付けて縛る方法や、棒を結び目に差して回転させる方法、自作した首サイズのベルトを使用する方法などが用いられる。紐が1周しか巻かれておらず、結び目が無い場合、髪の毛や衣類の上から紐がかけられている場合、紐を結んだ時の余りの長さが異なる場合、被害者が索状物を外そうとした痕(吉川線)が残っている場合は他殺が疑われる。
3.2.1.3 扼殺(扼頸)
 手または腕で絞めて首を圧迫する方法。すべてが他殺。メカニズムは縊死や絞殺と同じであるが、頸動脈洞を刺激することにより血圧が一定に保てずに脈拍が遅くなり、失神する場合もある。死体はうっ血や溢血点を生じるが、死後ただちに圧迫が解除されるので、うっ血は不明瞭なこともある。加害者が必要以上の力で絞めた際に、犠牲者の首に指や爪の痕、内出血が残る。舌骨や甲状軟骨が砕けていることもある。
 暴れる囚人や犯人を取り押さえるのに、チョークスリーパーが使われることがある。右腕を相手の喉に押し付け、左手で右腕をつかみ締め上げることで、頸動脈と気道を閉塞する。10~15秒で意識を失い、すぐに解除すれば10~20秒で意識が回復するが、さらに強めれば舌骨や甲状軟骨を砕いて死に至らせる。

3.2.2 一酸化炭素中毒

 一酸化炭素は不完全燃焼によって発生する、無色・無臭・無味で、比重は空気よりも若干軽い気体である。練炭と七輪を使用した自殺や、昔の石炭ガスによるガス自殺、昔の車による排ガス自殺は、一酸化炭素中毒死である。
 一酸化炭素は酸素に比べてヘモグロビンと非常に結合しやすい。占有されてヘモグロビンが酸素を運搬できなくなると、呼吸をしても酸素が細胞に届かない状態になり内窒息を引き起こす。一酸化炭素血中濃度は、20~40%のとき呼吸困難やめまい、頭痛、疲労感を引き起こす。意識がはっきりしていても、失禁を起こすことがある。40~60%(火災時相当)のとき激しい頭痛や嘔吐、視覚障害、判断力の低下、錯乱、麻痺、死を引き起こす。60~80%(排ガス自殺相当)のとき痙攣、呼吸麻痺、急死を引き起こす。健康な青年は40%でも軽作業可能な場合がある一方、疾患持ちや老人は20~40%で重篤な障害を引き起こす。なお日常では、非喫煙者が1~3%、喫煙者の喫煙時が10~15%である。空気中の一酸化炭素濃度基準では、0.1%のとき5~6時間、0.4~0.5%のとき20~30分で死に至る。車の排気ガスには一酸化炭素が0.5~4%含まれるため、排気口と窓をゴムホースで繋ぎ、隙間をガムテープで塞ぐ自殺方法が用いられることがある。この際、30分~1時間で意識を失うとされる。
 死体の肌の色や死斑はピンク色だが、一酸化炭素血中濃度が低い場合や、人工呼吸を受けた場合、腐敗が進行している死体の場合はこの特徴が見られないことがある。痙攣による舌の咬傷、嘔吐物の気管内吸引、脱糞なども見られる。司法解剖では、心臓血や静脈洞、場合によっては頭蓋内血種の一酸化炭素血中濃度を計測する。ただし、死後一酸化炭素血中濃度は変動する。

3.2.3 溺死

 口鼻から気管を通って侵入した液体によって、気管支や肺胞が閉鎖されて起きる外窒息。その際に吸い込んだ水を溺水と呼ぶ。全身が水につかった死体は水中死体と呼ばれるが、遺棄された場合も含まれるので溺死とは限らない。詳細には「気管支と肺胞の水浸し」と「低酸素症」の2種類に分類でき、前者が90%を占める。「気管支と肺胞の水浸し」では、吸い込んだ水が気管と肺をふさぎ、肺胞で肺水腫が発生して、酸素の供給が受けられなくなり窒息する。この際、体重の2~10%の水量が必要だと言われている。「低酸素症」では、入り込んだ水により咽頭や気管が刺激を受けて咽頭痙攣が起きると、濃厚な粘液や泡が発生して気管をふさぎ、脳が低酸素症を起こして肺水腫になる前に窒息する。洗面器や浴槽に顔を押し付けられて溺死する場合に多く見られる。急に冷水につかることで神経刺激により心停止するケースや、潜水前の過呼吸により呼吸切迫感が生じるのが遅れ溺死につながるケースもある。

 溺死の経過は次のとおりである。

  1. 第Ⅰ期(約1分)
  2.  入水後に本能的に息を止める。次に冷水刺激で呼吸中枢が刺激されて1回深呼吸し、再び呼吸を止める。
  3. 第Ⅱ期(約1~2分)
  4.  呼吸困難になり、無意識のうちに呼吸をして水を吸い込む。痙攣や意識不明を起こす。
  5. 第Ⅲ期(約1分)
  6.  呼吸が停止する。
  7. 第四期(約1分)
  8.  長い間隔をおいて呼吸を繰り返すが、やがて停止する。
 蘇生率について、成人が比較的暖かい水の中で意識を失った場合は3~10分まで、子供が冷水につかった場合は約1時間まで助かるという。これは、子供は潜水反射(冷水に顔をつけると、血液が優先的に心臓や脳へ送られる)が優秀であることと、脳が未成熟なため無酸素症に強いこと、低体温になりやすく細胞の代謝が抑えられることによる。
 浅い水深で溺死する場合がある。鼻から水を吸い込むと耳管に水が詰まり、中耳が内出血する。これが三半規管の働きを阻害し、平衡感覚を麻痺させ水面の方向を分からなくしてしまうことに起因する。
 バスタブでの溺死は、病死、自殺、事故死、他殺のいずれも可能性があるため、殺人が偽装されることがある。入浴中の犠牲者の足をつかみバスタブに沈める方法は、被害者に外傷が残りにくく、よく用いられる。
 高所から飛び降りたり突き落とされた場合、溺死以外にも、岩場にぶつかったり水面に激しくぶつかった衝撃で死亡する。詳細は飛び降りの節で説明する。水面から70mくらいの高さから落下すると、落下速度は時速100kmを超え、コンクリートの地面に落ちたかのような衝撃を受けることになる。
 水中死体は、腐敗が始まるまで、頭を下にして、尻が上がった状態で留まる。1、2時間で指がふやけ、鳥肌状態になる。やがてふやけた皮膚が手袋のように脱げることもある(繟脱)。1~2日以内なら粘液と水と空気が混ざった泡沫が肺に生じ、鼻や口からあふれ出す。夏なら2日前後、冬なら30日前後経過すると、腐敗ガスによる膨張が始まり水面に浮上する。新鮮な損傷がない限り、法医学者でも水中死体の自殺および他殺の判別は困難である。
 腐敗ガスによる浮力はすさまじく、18kgの石をくくりつけた入水自殺者が浮かび上がったほどである。おもりの固定には海水で分解しないナイロンロープが使われることが多い。なお、水温が5℃以下になる水深30~40mでは、腐敗しないため浮上しないと言われている。この水中死体は4か月ほどで死ろう化する。
 警視庁では、水死体と焼死体に対して、自殺なのか他殺なのか事故死なのかをはっきりさせるために、司法解剖を行っている。

3.2.4 その他の窒息

 薄手のビニール袋を被る自殺に代表される、鼻口を押さえることによる外窒息がある。猿ぐつわにより鼻と口を同時に覆う場合や、口だけ覆っても鼻汁や痰を生じて本窒息に至る場合がある。眼球結膜の溢血点は見られず、血液は流動性を保ち暗色を示す。
 喉に物を詰まらせたり、蒸気を急激に吸い込みなどして気管内に粘膜が生じて息を吸えなくなったり、舌を噛み切り血液が気管や肺胞を詰まらせて、気管を詰まらせる外窒息がある。
 腹や胸に重量物がのしかかり、息を吸い込むことができなくなる外窒息がある。圧迫加重が体重の2倍以下の場合は死亡せず、3倍では1時間程度で死亡し、4倍では被害者の75%が10分以内、25%が40~60分で死亡する。
 不活性ガスによって空気が置換されたり、空気中の酸素が消費されて、酸素濃度が低下することよる外窒息がある。空気中の酸素の消費方法は呼吸に限らず、腐敗や発酵、燃焼や、錆による酸化の場合もある。違法投棄された冷蔵庫の中に閉じ込められてしまったり、下水道や地下室など空気循環の悪いところに立ち入ることで起こる。通常の空気中での酸素濃度は20%程度だが、10~14%に低下すると意識障害によって正しい判断ができなくなり、6~10%に低下すると意識を失い、6%以下に低下すると急死する。
 硫化水素中毒による内窒息がある。硫化水素は腐った卵臭がする無色透明の腐食性ガスである。毒性がきわめて強く、中毒発生時の致死率が高い。低濃度でも粘膜を刺激し、炎症を引き起こす。100ppm以上のとき死に至る可能性があり、そのプロセスは青酸カリと同じ細胞呼吸の阻害である。
 気管支ぜんそくによる窒息死では、息を吸うことができても吐くことができなくなるので、肺が空気でパンパンに膨らみ、肺が肋骨の間に食い込む。