4 殺人と警察

4.7 人質交渉

 犯人が人質を取って立てこもった場合や、自殺すると言って立てこもった場合、警察は犯人と交渉し、人質や犯人自身の被害を最小限にしつつ、事態を収拾する必要がある。殺人と直接は関係ないが、殺害後に人質を取るケースや人質を殺害するケースも考えられるため、記載する。

 まず、立てこもり犯人のタイプを同定することが行われる。人質交渉の方略などはそのタイプによって大きく異なる。

  1. 精神障害を持った人質立てこもり犯人
  2.  妄想や幻覚に基づいたケース。例えば、「自分が殺されそうである」、「自分が追跡されている」、「自分が誘拐されそうである」などの実際には存在しない妄想に支配され、他人に対して攻撃行動をし、結果的に立てこもり状態になってしまう。精神障害の種類としては、統合失調症、覚せい剤中毒、シンナー中毒、LSD中毒などがある。FBIの扱った立てこもり事件の約半数が精神障害に関連したものであるが、日本でも精神障害に基づく立てこもりは少なくない。
  3. 自殺志願者
  4.  うつ病などによる自殺に随伴するケース。自殺志願者が、まだ自殺に踏み切れていない状況で通報されたケースなどが典型的な例。このケースで最重要なのは自殺防止であり、基本的には積極的傾聴テクニック(相手を説得しようと試みるよりも、むしろ共感的に相手の話を聞き取り、カウンセリング的な介入をすること)を試みながら、投降あるいは突入の機会を探る方法が有効。
  5. 家庭内トラブルからの立てこもり
  6.  家庭内のトラブルやドメスティックバイオレンスなどの最中に警察官が来て、そのまま立てこもるケース。人質は配偶者や子供、両親などになる。犯人は警察に対して明確な要求をせず、会話も困難な場合が多い。もとになったトラブルの質や犯人のパーソナリティにもよるが、犯人が自殺をしたり、家族と心中する可能性があるので、その防止が最重要。犯人との会話手段が確保された場合には、積極的傾聴テクニックを取りつつ犯人をクールダウンさせることが必要。
  7. 犯行現場を押さえられた犯人
  8.  銀行強盗や侵入強盗を行っている最中に警官隊が駆けつけてきて膠着状態になり、犯人が逮捕を逃れるために人質を取るケース。この種の犯人は暴力的な傾向が強かったり、前科があったり、立てこもりの段階で指名手配を受けていたりするため、自暴自棄になりやすく対処が困難である。時間をかけて投降の可能性を探ることは必要であるが、人質の安全が最も確保できるタイミングを見極めて突入することが多い。
  9. テロリスト
  10.  政治的な要求や主張を、マスメディアを通して広報することを目的とするケース。破壊活動の一環として行われる場合もある。この種の犯人は周到な準備と訓練を行っている場合が多く、単独でなく訓練されたチームの場合もある。そのため、他のケースに比べて交渉や説得は困難である。交渉には犯人側の思想や行動に精通したスタッフが必要。また、犯人が自爆などをする可能性がある。
  11. 抗議のための人質立てこもり
  12.  会社による給料不払いや労働条件の悪さなどを世間に主張するために、立てこもり事件を起こして抗議するケース。積極的傾聴テクニックが基本的に使用される。ある程度犯人をクールダウンさせ投降を促すのが基本であるが、犯人の自殺する可能性が見積られた場合は突入も選択肢に入る。
 犯人が銃を持っている場合は、人質死亡の危険性は極度に高まる。人質と犯人に面識がある場合は、人質死亡の危険性は低下する。立てこもりの時間が長くなるにしたがって、人質の死亡や負傷の可能性は増加する。
 日本の警察においては、基本的に、突入より説得という方略が取られることが多く、立てこもり時間は長期化する傾向にある。
 ストックホルム症候群は、人質立てこもり事件や誘拐事件において人質が犯人に同情したり、協力したり、連帯感を生じたり、愛情を抱いたりする現象。長時間、自分の生命が犯人のコントロール下に入り、自らの行動がすべて犯人の許可がなければできないような状況に置かれると、人間はその相手に対して極度に依存する一種の防衛的なメカニズムがあり、これがストックホルム症候群の発生する背景にあると思われる。そのため、ストックホルム症候群が生じるかどうかは、立てこもりの形態にも依存し、犯人が人質に暴行を加えたり、殺害したりするような状況や、過度に拘束されたり目隠しをされる状況、人質が隔離されている状況、犯人と人質に会話が生じない状況では発生しない。
 警察側からすると、ストックホルム症候群によるマイナス点としては、突入時に人質が犯人をかばったり、警察の捜査を妨害する点や、検挙後に犯人を弁護する活動を行ったりすることがある。プラス点としては、突入時に犯人が人質の殺害を躊躇する点がある。このため、一般に人質交渉場面でストックホルム症候群が生じそうな場合には、その発生を促すべきだと考えられている。
 ストックホルム症候群とは逆に、犯人グループが人質に対して、同情したり、協力したり、連帯感を生じたりする現象をリマ症候群と呼ぶ。この事件(ペルーにおける日本大使館占拠事件)では、立てこもりが長期にわたったため、人質と犯人グループが言葉を教えあったり、一緒にトランプをすることもあったという。