2 殺人の心理

2.3 自殺の傾向

 自殺は、ミツバチのような知能を持たない生物が行う死を伴う行為と区別するため、「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接的、間接的に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合」と定義される。
 自殺は生存者の精神に対して大きな伝染的影響力を及ぼす。傷痍軍人15人が短時間のうちにホテルの同じ鉤を使用して首吊り自殺をしたケースでは、鉤を取り除くと自殺はぴたりと止んだという。ただ、自殺の伝染的影響力は、ある人の内から自殺の観念が生まれて他者に広がっていくのではなく、絶望の状態におかれ死地におもむこうとしている集団全体によって形成される。つまり、伝染経路が無くても社会的環境が同じなら同じ結果をもたらす。

2.3.1 自殺を促進・抑制する要因

2.3.1.1 心理的要因
 心理的要因は、自殺におもむかせる傾向のある個人の体質のことを指す。
 精神病者の自殺は次項で述べる4つのタイプに分類できるが、いずれも動機が無いか想像上の動機に従い行われる。
 神経病者は、外乱への抵抗力が低く、あらゆる圧力が病の原因となり、あらゆる運動が疲労に繋がる。一方で快楽のシキイ値も低く、つまらない出来事を法外な愉しみに変えることができ、バランスを取って生活している。しかし、世間は平均的に圧力を持つ。神経病者は苦痛から逃れるため、静穏な環境や孤独を求める傾向があるが、喧噪な世間で生活しなければならなくなった場合に、自殺の想念にとって格好の地盤となる。
 自殺は大きな伝染的影響力を持つため、自殺者を親に持つような精神病者と神経病者は、神経的な弱さのために暗示にかかりやすく、自殺の観念を容易に受け入れやすくなっているため、自殺の観念にとらわれやすい。このような家族はしばしば、自殺が相次いで、同じ年齢で、同じやり方で再現される。当然、精神病や神経病は遺伝するかもしれないが、自殺への傾向は遺伝していない。
2.3.1.2 環境的要因
 環境的要因は、気候や気温が身体に影響を及ぼし、自殺におもむかせる傾向のことを指す。気候は自殺の傾向に影響を及ぼさないが、寒暑を問わず極端な温度は自殺を増加させる。
 自殺の最も多い季節は夏(都市部によっては春)であり、春、秋、冬の順番で少なくなる。1月から6月にかけて自殺は増加し、6月からその年の年末にかけて減少する。また、自殺は金曜日から週末にかけて減少していく。つまり、自殺の大部分は、社会生活が最も活発になる昼間に行われているため、昼間が長くなると自殺が増える。
2.3.1.3 社会的要因
 自殺は、社会集団の統合が弱く個人化が過度に進んでも増加し、社会集団の統合が強く個人化が十分でなくても増加する。それぞれのタイプについて、次項で述べる。

2.3.2 自殺のタイプ

2.3.2.1 精神病者の自殺

精神病者の自殺は次の4つのタイプに分類できる。

  1. 偏執狂的自殺
  2.  幻覚や妄想を受け、想像上の危険や恥辱から逃れるため、または天から受けた神秘的な命令に従って自殺する。動機は変遷的であり、未遂に終わればしばらく自殺を行わないか、未遂時と別の動機に置き換わっている。
  3. 憂うつ症的自殺
  4.  極端な沈鬱と悲哀を受け、自身と周囲の人物や事物との関係を正常に評価できずに行う自殺。動機は固定的・恒常的であり、自殺の手段を冷静に準備し、未遂に終わっても自殺の意思を持ち続ける。
  5. 強迫的自殺
  6.  理由がない死の固定観念を受け、本能的欲求によって行う自殺。当初は抗うが、悲哀と圧迫感に悩まされ、やがて日に日に昂じる衝動に負けて自殺する。未遂に終わると、衝動はしばらく鎮静化される。
  7. 衝動的ないし自動的自殺
  8.  理由がなく、前兆を伴わず、自動的に突然生じる衝動を受けて行う自殺。刃物を目にしたり、断崖の縁を歩いている際に、当人が意識していないにもかかわらず、突然自殺の想念が生まれる。
2.3.2.2 自己本位的自殺
 社会集団の統合が強い社会は、社会から個人へ、個人から社会へエネルギーを還元し活力の回復に役立てるとともに、個人が自ら死を選んで社会に対する義務から逃れることを許容しない。この統合が弱いと、社会から逸脱したと考える「自己本位的自殺」が増加する。
 宗教の違いによる自殺への影響について、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教の中では、プロテスタントが最も多く、カトリック、ユダヤ教の順番で少なくなる。キリスト教は自殺を禁止しており、ユダヤ教は禁止していないにもかかわらず、である。ユダヤ教は少数派の宗教であるため、小社会の凝集力が強く、自己を厳しく統制し、厳格な規律に従っている。カトリックは理想主義的であり、聖書の解釈を禁止し、教権を階級化し、既成の信仰を無批判に受け入れる。プロテスタントは自由検討を認められており、聖書の解釈は牧師に任され、聖職は階級化されていない。このことから、強力に統合されている宗教が自殺を減らすことに繋がることが分かる。すべての信者に共通の、伝統的で強制的な、一定の信仰と儀礼の存在により、一つの社会を構成することができれば、宗教は自殺に対して抑止作用を及ぼす。
 結婚は自殺に対して抑止作用を及ぼす。ただし、極端な早婚は自殺を促進し、男子の場合は傾向が顕著である。適齢の結婚は自殺に対して抑止作用を及ぼし、年齢が進むにつれて抑止作用は大きくなる。配偶者と死別または離別した場合は抑止作用が低下するが、未婚に比べれば抑止作用を有する。また、女性よりも男性の方が抑止作用の恩恵が大きい。この抑止作用は、配偶者の影響は小さく(それどころか子供を持たない女性の自殺は促進される)、子供の影響が大きい。子供が多く家族の成員が多いほど、小社会の強度が上がり感情や記憶を強力に共有できるため、抑止作用は大きくなる。
 発展途上の社会では自殺が少ないが、崩壊に向かっている社会では自殺が増えていく。これは、危険に立ち向かうために人々が互いに結束し、同じ一つの目標に向かって集中し、社会的統合を実現させるためだとされる。
2.3.2.3 集団本位的自殺
 未開社会のような、個人が集団の中に埋没してしまい、個人の人格が無に等しい社会では、成員が圧力によって自殺を強要される、「集団本位的自殺」が増加する。

 未開民族は次の3つのタイプの自殺を行う。

  1. 老年の域に達した者や、病に冒された者の自殺
  2. 夫の死の後を追う妻の自殺
  3. 首長の死に伴う臣下や家来の自殺
 彼らの社会では、正面切って生を放棄するように、強制性を有した命令が下される。例えば、肉体に宿る精霊は年老いるにつれて力を失うとされ、老いた家長は、一族を守護する精霊を後継者に継承するために死を選ばなければならなかった。
 表向きの動機が実にくだらない自殺が、頻繁に起きる社会がある。生に執着しないことが一つの徳であるとされ、ほんの些細な事情や単なる体面の問題から生を絶つ者に賞賛が与えられると、人は表向きには自殺を強いられていないにもかかわらず、ささいな理由から生を放棄することを選ぶようになる。
 生を放棄すること自体が、これといった理由もなく賞賛される社会では、個人がひたすら犠牲の喜びを求めて自殺することが起きる。人間の無上の望みは涅槃に達することであると説いた仏教では、自殺を制限していたにもかかわらず、自らの心の存在が他の存在と合一することを渇望し、個人的な存在から脱しようと、多くの宗教的自殺が行われた。対照的にキリスト教は、あの世で快楽得るためには、各々がこの世で務めを果たす必要があるという個人主義を説き、この種の集団本位的自殺は抑制されている。
 古い体制の軍隊では自殺が多く見られ、19世紀末のヨーロッパでは市民に比べて25~900%も促進されていた。母体に精神病者や神経病者がおらず、社会集団として統合されているにもかかわらず、である。これは、軍隊精神を叩き込まれること、つまり自分の人格の価値を主張せず従順に命令に従うように訓練されることにより、個人化が失われることによる。集団本位的自殺の傾向により、兵士はわずかの不満や叱責、不当な処分、昇進の停止、嫉妬の爆発、他人の自殺などの理由から自殺を行う。服従と受け身の習慣が強い下士官は、将校に比べ自殺への傾向が強い。精鋭部隊は軍人的な献身と犠牲の精神が強いため、さらに自殺への傾向が強い。
2.3.2.4 アノミー的自殺
 産業上あるいは金融上の経済的危機は自殺傾向を促進する。この時、個人の生活苦は関係なく(むしろ経済的窮迫は自殺傾向を抑制する)、国家が急激に繁栄した場合ですら自殺傾向は促進される。これは、経済的危機による急激な変化は社会の規制を緩めるため、人間は見境なく他者を羨望し、見境なく欲望を向けて動き、常に満たされない状態に陥るためである。この状態に陥ると、少々の逆境に突然襲われても、耐えることができなくなってしまい、経済の熱狂が落ち着いたときには、これまでの行いの不毛さに打ちのめされ、自ら死に走る。このような自殺を「アノミー(無規範)的自殺」と呼ぶ。
 離婚により配偶者を失うことは、自殺の傾向を促進する。結婚時は本来持っていた自殺傾向が抑制されているが、離婚することにより本来持っていた自殺傾向や結婚生活で獲得していた自殺傾向へと戻るためである。また、夫は未婚時には情念を複数の対象に注いでいるが、結婚によって情念の対象を一人に規制する。その後、離婚により規制が弛緩し、情念の先走りが自身の躊躇や優柔不断と相まって、不安、動揺、不満の状態を引き起こし、アノミー的自殺の傾向を促進する。

2.3.3 自殺手段

 代表的な自殺手段は社会により異なり、季節的な変化もなく長期間一定の割合を示す。また、自殺のタイプとは相関が無い。なぜなら、人間は自殺の際に、妨げる要因が無い限り、最も抵抗が少なく、最も手近で、日常的慣行を通じて親しい手段を用いる傾向があるからである。ビルの無い田舎での飛び降り自殺や、鉄道が敷設されていない土地での轢死は必然的に少なくなる。また、社会集団が自殺手段の品位をどのように捉えているか(潔いものや、いやしかったり品位が無くひんしゅくを買うもの)が影響する。斬首や縊死が恥ずべき死とみなされる軍隊では、これらの手段は嫌煙されることがある。