2 殺人の心理
2.2 戦争の心理
戦争の心理のキーワードは、「殺人の抵抗感」と「殺人のトラウマ」である。戦争において訓練していない兵士は、殺人の抵抗感によって至近距離であっても敵に銃弾を命中させられないことが知られている。この精神的な障壁を下げる、効果的な兵士の育成方法が研究されている。また、殺人はトラウマを引き起こすため、精神的被害を抑える兵士の運用方法が研究されている。
本資料のテーマとは異なると思われるかもしれないが、攻撃的精神病質者でもない限り、「殺人の抵抗感」と「トラウマ」はついて回る。乗り越える参考になると思うので記載する。
2.2.1 殺人の抵抗感
理由は分かっていないが、普通の人間には、同族を殺すことへの抵抗感が存在する。これは戦争にも適用され、第二次世界大戦中のアメリカ軍の調査によって、敵との遭遇戦に際して、戦況や日数によらず、火線に並ぶ兵士100人のうち、15~20人しか武器を使っていないことが判明した。また、戦闘機の敵機の30~40%は、自軍パイロットのうち1%未満が撃墜していた。
人間に限らず、生物は同種の生物に起因する危険に直面すると、「闘争」「逃避」「威嚇」「降伏」のいずれかの行動を行い、通常は「逃避」か「威嚇」を選択する。「威嚇」により撃退できなかった場合は「闘争」が選択肢になるが、同種の生物間での闘争は命に危険の及ばない範囲で行われ、同種の生物間であればそれ以上危害を及ぼさないという暗黙の了解をもとに「降伏」が選択される。人間は戦場で恐怖に襲われると、より獣に近い思考を行うようになるため、この傾向が強くなる。本来は兵士全員が「闘争」を行うことが望ましいが、恐怖や興奮の物理的なはけ口として、射程圏外から、あるいは空に向かって、弾薬が尽きるか、興奮が冷めるまで発砲し続けた、「威嚇」の例は数多く残っている。戦場から逃げ出す「逃避」の兵士や、敵が近づいてもまったく発砲しない一種の「降伏」の兵士、自身の武器を提供したり銃の装填だけを引き受ける消極的な「闘争」の兵士も一定数存在する。
2.2.1.1 物理的距離との関係
殺人の抵抗感は、対象との物理的距離に反比例する。爆撃や砲撃は比較的容易に行われるが、銃剣やナイフによる刺殺の抵抗感は大きく、素手により殺害する場合は極めて大きくなる。生還者についても、爆撃の生存者は長期的な心理的トラウマに苦しむことが少ないが、ナチの強制収容所の生還者のほとんどは苦しんでいる。
爆撃や砲撃など、機械的手段を使わなければ対象を認識できない長距離であれば、人は殺人に対して何の抵抗もない。対象を目視できる中距離であれば、自分の与えた傷の程度が分からなければ抵抗は少ないが、死体に近づくとトラウマは悪化する。飛び道具の届く近距離であれば、殺人者の責任が明確であり、トラウマで苦しむことが多い。一方、手榴弾は対象の姿を見たり悲鳴を聞かずに殺害できたので、抵抗感が少なくライフルよりも好まれた。刺殺可能な近距離であれば、武器は兵士の身体の延長であると感じるに至り、離れて使える槍のような武器の方が抵抗感が少なく、突くよりも払ったり振り下ろす方が抵抗感が少ない。そのため銃剣が殺人に用いられたケースは非常に少なく、銃剣訓練を受けている兵士でも銃床をこん棒のように使って戦うことを好む。
発砲や殺人が最も効果的に行われるのは、一方が背中を向けて戦場から逃げ始めた時である。動物に備わる追跡本能が呼び覚まされるとともに、犠牲者の顔が見えなくなり抵抗感が小さくなるためと言われている。
2.2.1.2 心理的距離との関係
殺人の抵抗感は、対象との心理的距離に比例する。同様の現象は、人質が犯人に同情して協力を始めるストックホルム症候群にも見られるが、「人質の内部で、犯人との結びつきが強まる」「人質の内部で、犯人と交渉する警察との同一化が弱まる」「犯人の内部で、人質との同一化と結びつきが強くなる」の三つの段階を踏んで進行するとされる。心理的距離が下記の要因によって崩壊することで、抵抗感は小さくなる。
- 文化的距離
- 論理的距離
- 社会的距離
人種的・民族的な違いは、犠牲者の人間性の否定につながる。外見がはっきり異なる人間の殺害は、抵抗感が小さい。プロパガンダや蔑称によって、敵国が劣った生命であると兵士に認識させることは戦争においてよく用いられた。
敵は有罪であるので罰せられるか復讐されるべきで、自分の大義は正義であり正当化されるべきという思考は、殺人の抵抗感を小さくする。現代の戦争はこの傾向が強い。
社会的に階層化され、特定の階級を人間以下とみなす慣習は、殺人の抵抗感を小さくする。
2.2.1.3 権威者との関係
ミルグラムの実験により、人は権威者から指示を与えられると、見ず知らずの他人に致命的な身体的苦痛を与えられることが分かった。現に、兵士の発砲する理由の大半は、「撃たないと撃たれるから」ではなく、「指揮官から命令されたから」である。権威者の近接度、敬意度、要求の強度、正当性によって、服従の引き出しやすさは変わる。
- 権威者の近接度
- 権威者への敬意度
- 権威者からの要求の強度
- 権威者の権威と、要求の正当性
戦闘中の兵士は、指揮官が見ていて激励している間はほぼ全員が発砲するが、指揮官がその場を離れると発砲率は15~20%低下する。
指揮官への同一化が進むほど戦闘意欲は高くなる。皆に認められ尊敬される指揮官に比べ、未知の指揮官や信頼されていない指揮官は、兵士から服従を引き出しにくい。
指揮官から「殺人行動を期待している」とはっきり伝えることで、服従を引き出しやすくなる。
権威を社会的に認められた正当な指揮官は、そうでない指揮官より服従を引き出しやすい。
2.2.1.4 戦友との関係
戦友に対する強力な責任感は、戦友のことを深く気にかけ、戦友にどう思われているかをひどく気にさせ、その相互監視の圧力は殺人の抵抗感を凌駕する。多くの犠牲者(50%ほど)を出した部隊は、集団抑うつと感情鈍麻に陥りやすくなり、最精鋭集団ですら敗北に至る。また、崩壊した部隊から一人だけ別の部隊に移動させても役に立たないが、生き残りを二人以上移動させることで戦果を挙げるようになる。また、集団は匿名性を生み出し、攻撃傾向を増強させたり、個人の責任を分散させることで、殺人の抵抗感を下げる。
2.2.2 殺人のトラウマ
戦闘による兵士のトラウマは大きく、第二次世界大戦中、アメリカ軍は精神的な理由で130万人以上の兵士を除隊している。戦闘が6日間ぶっ通しで続くと、98%が何らかの精神的被害を受け、耐えられるのは2%の攻撃的精神病質人格者であるとされる。この生まれながらの兵士の気質を持つ人間は、殺人に対する抵抗感を持たず、戦闘が長引いてもトラウマを受けない。反社会性パーソナリティ障害者は、権威に反抗する傾向が強いので軍隊に向いていないとされるが、軍は戦時中、彼らを使いこなしていた。
2.2.2.1 精神的被害の分類
精神的被害は次の6種類に分類できる。
- 疲労
- 錯乱状態
- 転換ヒステリー
- 不安状態
- 妄想および強迫状態
- 人格障害
身体的・精神的な疲弊状態。無愛想、いらだちを生じ、共同作業に興味を失い、精神的に不安定になる。音への過敏症や過度の発汗、動悸を生じることもある。さらに進行すると虚脱状態になる。休暇を与える以外に有効な治療法はない。
疲労が病的解離に移行した状態。自分が誰で、ここがどこなのか分からなくなる場合が多い。せん妄、病的解離、躁うつ的な気分の変動を生じる。冗談を言い始め、とっぴな行動を取るガンザー症候群を生じる。
戦闘中のトラウマや、何年も経ってからPTSDとして発症する。自分がどこにいるか分からなくなったり、任務を全く果たせなくなり、危険な戦場を平然と徘徊するなどの行動を取る。健忘症を起こし、記憶の大半を失うこともある。痙攣発作を起こすことも多い。
睡眠や休息で軽快しない、激しい疲労感と緊張感。眠っても悪夢で目を覚まし、ついには死ぬことしか考えられなくなったり、へまをする恐怖に取りつかれたりする。息切れ、脱力、疼痛、目のかすみ、めまい、血管運動異常、失神をともなうことが多い。ヒステリーに移行しやすい。
転換ヒステリーと同様だが、兵士が自身の症状や原因を認識している場合。震え、発汗、どもり、チックなどを抑制できず、罪悪感からヒステリーに移行しやすい。
強迫性人格(特定の行動や事物に固執)、妄想傾向(自分の身に危険が迫っていると感じる)、分裂傾向(感受性が両極端)、てんかん性格反応(周期的な激しい怒り)、などの人格の変化を生じる。
2.2.2.2 精神的被害の原因
精神的被害が発生する原因は、戦闘中に「恐怖」「疲労」「憎悪」「殺人の重圧」を天秤にかけ罪悪感を深め、「忍耐力」が失われると狂気に追い込まれるためだとされる。
- 恐怖
- 疲労
- 憎悪
- 忍耐力
- 殺人の重圧
戦闘の経験前の兵士は、「戦闘で最も恐ろしいこと」として「死や負傷」を挙げるが、経験後の兵士は「他の人間を死なせること」を挙げる。また、将校や衛生兵は人を殺さないため、水兵は個別の敵兵が存在せず、間接的に人を殺すため、精神的被害が少ない。期待されている通りに敵兵を殺せない罪悪感が、恐怖なのである。
長期的で深刻な疲労は、精神的被害をもたらす。その要因は、生理的な興奮(危険に直面して闘争・逃避の選択を迫られる)、累積的な睡眠不足、カロリー摂取量の減少、自然環境(雨、寒い、暑い、暗いなど)である。ストレスが極度に高まると、交感神経系が優位となり、急を要さない消化や膀胱・括約筋の制御などは放棄される。状況が落ち着くと、副交感神経が優位となり、強烈な揺り戻し反応によって虚脱感や猛烈な眠気が襲う。この繰り返しが続くことは、身体的・心理的に深刻な疲労をもたらす。
人は、積極的な攻撃行動を起こすことに抵抗を感じ、他者の攻撃や憎悪に直面するのを恐れる傾向がある。そのため、戦場で敵の攻撃行動を受けると、激しいショックと驚愕、憎悪を感じ、士気に多大な影響を及ぼす。新兵の教育として、上官から虐待や無理難題を受けたり、身体的攻撃を伴う訓練を受けたりするが、これは憎悪に対する予防接種のためである。
人はストレスによって意思と生命力を吸い取られ、忍耐力が尽きれば抑うつ状態に陥る。戦場における忍耐力は、戦闘の成果を上げることによって補充される。
人の殺人に対する抵抗感は極めて大きく、自己保存本能、上官の強制力、仲間の期待、戦友の生命がかかっていても、克服できないことがある。敵兵を殺しても罪悪感を背負い、殺さなくても罪悪感や恥辱を背負うことになる。
武装しこちらを殺そうとしている敵と戦い、敵が「あっぱれ」な最期を遂げた場合、殺した側は自身の行為を合理化することができ、良心の呵責を感じることがない。待ち伏せでの戦闘やゲリラ戦は、敵が自身に気付いていない一方的な状況での殺人や、対象が戦闘員か非戦闘員か見分けることが困難な状況があり、トラウマを生じる場合がある。殺す側にとって脅威にならない非戦闘員を近距離から殺すことは、外的な動機から行われることが多く、犠牲者の人間性を否定するのが難しいことから、強烈なトラウマを引き起こす。
2.2.2.3 殺人に臨む際の心理段階
戦闘中の殺人に臨む際、人は次の心理段階を経験する。
- 殺人に対する不安
- 殺人の段階
- 高揚の段階
- 自責の段階
- 合理化と受容の段階
まず兵士は、いざというときに敵を殺すことができるか、仲間を失望させないか、といった深刻な不安を抱く。過剰な不安と恐怖は固着し、平和になった後も殺人に対する強迫観念を与え続ける。
通常、戦闘中の殺人は、反射的に、一瞬の興奮のうちに終わる。
戦闘中のアドレナリンは殺人によって著しく増加し、殺人中毒とも呼べる興奮を引き起こす。中~長距離で殺人に成功した場合は特にその傾向が強く、自責の段階に進まない者もいる。
強烈な自責と嫌悪を感じる。二度と殺人を犯さないと決意する者もいるが、大半は内部から冷たくかたくなになっていく。いずれにせよ、自責の念は消えることがない。
自分の行いを合理化し受容しようとする、生涯にわたるプロセス。心理的・精神的健康のために、敵の非人格化を行うことで、自身の行為を合理化・正当化する。
2.2.2.4 その他の心理状態
虐殺行為を命じた者と命令を実行した者は、大義を成就させない限り責任を問われるため、罪悪感によって強力に結び付けられる。全体主義国家の指導者は、この寝返る恐れのない手先を得るため、正当な脅威が存在しない場合はスケープゴートを立てる場合(当時社会の中で弱者または少数者であったユダヤ人や黒人など)すらある。兵士の結束強化のため、敵を征服し、女性を強姦して人間性を奪う行為が近代まで行われてきた。こうして虐殺行為は短期的には利益があるが、その他の勢力は敵対勢力になるため、いずれ自滅につながる(犠牲者を救うのには間に合わないことが多い)。
戦闘の最後ぎりぎりに降伏する行為は、互いに180度頭の切り替えを要求する行為であり、困難である。丸腰でも射殺したケースが何例か見られる。ただし、殺人への抵抗感が作用し、こういった状況下で殺害された兵士はきわめて少ないとされる。
2.2.3 殺人のための訓練・運用方法
これまで述べてきた研究成果をもとに、現代の兵士の訓練では、脱感作、オペラント条件づけ、否認防衛機制の組み合わせが用いられている。
- 脱感作
- オペラント条件づけ
- 否認防衛機制
言葉の意味は、アレルゲンを次第に増やしながら注射して、アレルギー症状を緩和する治療法から。ランニング中に「殺せ」と連呼したり、敵の蔑称を呼んで非人格化を行い、日常的に殺人を神聖視する。
兵士の前方に人型の的が飛び出し(誘因)、発砲(目標行動)して命中すると的は倒れる(フィードバック)。成績が良ければバッジや褒章がもらえ、悪ければ軽い懲罰があるので、行動は強化される。的はリアルなものを用いたほうが良く、ケチャップを詰めたキャベツを頭とみなし、頭が吹き飛ぶ様子をスコープ越しによく見るように指示する場合もある。
素手で対象を破壊する最も有効な方法は、目に親指を突っ込んで頭蓋内をかき回し、指を鉤型に曲げて組織を引きずり出す方法だとされる。ある空手の指導者は、敵役の目にオレンジを当て、そのオレンジに指を突っ込ませる。引き抜くときに、敵役に悲鳴をあげさせ、身をよじったり痙攣させると現実味が高まり、心がかき乱されることで抵抗感の克服に効果があるとされる。
トラウマの対処には、否認と防衛の心理機制が必要である。上記のリアルな訓練によって、自分が実際に人を殺しているという事実をある程度否定することができ、この対処を行うことができる。
精神的被害を治療するため、戦闘部隊を交代制にして定期的に後送休養を与える方法や、前線近くで治療すると共に指揮官や医療者から「早く前線の同輩の元へ戻ってほしい」期待を伝える方法、自白剤を使用して洗いざらい話させて抑圧を開放する方法が用いられている。